
コウ(Koh)
ヒーラー/アセンションライトワーカー/アセンションスピリチュアルティーチャー
産業用機械メーカー 代表取締役社長
レイキヒーラー・ティーチャー(臼井式、カルナ、ライタリアン)
シータヒーリング・プラクティショナー(初級・上級・豊かさと願いの実現)
PARAMITA ヒーリングスクール 認定ヒーラー
PARAMITA ヒーリングスクール マリア&ドルフィンタッチヒーリング講師
Freedom Destiny LOVING® 認定ヒーラー
ヒーラーさんやライトワーカーさんには、物心ついた頃から普通の人には見えない物を認識したり、そういう存在と会話をしたりして来た方も多いですが、私にはまったくそういう経験がありませんでした。
物心ついた頃からそういったものが見えていた友人はいますが、その子の話を聞いて「私にはわからないけど、そういうものもあるんだなあ」ぐらいの認識でしたし、子供の頃からオタクだったのでファンタジー世界に馴染みや憧れがあったのもありますが、なんだったら「私や私の周りの人に害を及ぼさないのであれば、そういう世界が存在する事を許してやってもいい」ぐらいの、謎に上から目線ですらありました。
ヒーラーの仕事をしていない時は、機械関係の会社の二代目社長として仕事をしています。とても小さな会社です。
そんな私が何故ヒーラーという特殊な仕事もしているのか、自分でも不思議といえば不思議です。
ヒーラーとしての能力は大人になってから自発的に教えを乞い身に着けたものです。一般的に見て非常に特殊な技能と言えばそうですが元々人間はこういったスピリチュアルな能力をみんな持っていたのですから、やろうと思えば誰にでも出来る事でもあるのです。私のヒーラーとしての履歴書は、自分自身と世界をどこまで信頼し愛せるかに挑戦した記録でもあり、己の内面と繰り広げた数々の決闘の跡でもあります。
私が一番最初にスピリチュアルの世界に触れたのは、とある霊媒師さんにお会いした事でした。
当時の私はまだただのヒラ事務員で、何か優れた所も才能も特になく、これが私だと人様に言えるようなものもなく、ただ流されるまま生きている自分が心底嫌いで、じゃあどうしたいのかと聞かれても何も答えられず、何者かになりたい気持ちばかりが強くて楽器を始めてみたりダンスや日本舞踊を始めてみたり占いの勉強をしてみたり、ものづくりをしてみたりと様々な迷走を繰り返している最中でした。
結局どれもこれもが中途半端でパッとしませんでしたが、だからと言って特に大きな問題を抱えていた訳でもなくただ漫然と「このまま何一つ自分の思い通りにならないまま、可もなく不可もなく老いて死ぬんだろうなあ」と思っていた程度でしたし、霊媒師さんとお会いするきっかけは幼少期からの友人の勧めでしたが、その勧め方も別に当時の私に何か問題があるように見えたから勧めたという訳ではなく、単純に「面白いから人生経験として一度受けてみなよ」という感じで、私自身もわりと軽い気持ちで臨んだものでした。
セッションで赴いたマンションのオートロックのインターホンを押した瞬間からイメージや思い込みを粉砕されて度肝を抜かれる事の連続で、困惑が最初に来て、セッションが進んでいくにつれ私は号泣しており、その時に霊媒師さんに「あなたは頭で考えないで直感で生きる方が生きやすい人だよ」と言われた事が、スピリチュアルの世界に関わるきっかけとなりました。
とはいえ。
それを最初から素直に受け入れて、よし今から考えるのをやめて直感で生きるぞ!となれていたらよかったのですが、それまで何十年と足りない頭で考えて考えて考えて、その結果迷走して失敗ばかりを繰り返して来た人間です。それに失敗にだって種類や程度がある。特に成功はしていないしかと言って逆に大きな失敗もしていないけれど、それでも起きた失敗や良くない出来事が全部この程度で済んでいるのは私なりによくよく考えてその上で出来るだけ慎重に動いたからだと思っていたから、考えるのをやめるなんて到底出来るはずもない事でした。
直感で生きる=考えなしになれという意味ではない事はさすがにわかるけど、直感なんて根拠もないものをあてにして生きて人生大変な事になったらどうするの?誰も責任取ってくれないでしょ?と。この頃の私は自分というものに全く自信がなかったし信用も信頼もしていなかったので、とんでもない事になる想像しか出来ませんでした。
多分普通だったら霊媒師さんに会った事があるという話のネタだけを抱えて、またいつも通りの頭で考える生き方をしていく所だったと思うのですが、不思議とこの時はそうはなりませんでした。それだけ私にとって頭で考えないで直感的に生きるという事が魅力的に見えたのでしょう。そんな怖い事出来るはずないじゃないかと思いつつ、それでもその道を模索せずにはいられませんでした。
そうしてなんやかんやあってチャネリングに出会い、マリア&ドルフィンタッチヒーリングに出会い、レイキに出会い、シータヒーリングに出会い、透視ヒーリングに出会い、LOVINGに出会って、今という感じです。ヒーラーの中ではそこそこ様々な手法を身に着けてるほうかもしれません。しかしながらこれも、最初からヒーラーやチャネラーとしての才能を見事に発揮して順風満帆、トントン拍子にプロになりコウの快進撃が始まった……という訳ではなく。
マリア&ドルフィンタッチヒーリングでほんの少しばかり自信を付けた後、レイキ、シータヒーリングの勉強をしてスピリチュアルの世界の奥深さをさらに知りつつ、まずは自分に対してそれを使い、そうしていくうちにヒーラーとして仕事をしていきたいとうっすら考え始めた矢先、父が突然意識を失って倒れ、その後一度も目を覚ます事なく亡くなってしまいました。
元々父の会社で働いてはいましたが、ただ事務などを担当していただけで父は私を跡継ぎにする気はありませんでしたし、私もそうなる予定は一切なかったため私自身は跡継ぎとしての教育や引継ぎなどは殆ど受けていませんでした。大学も会社の業種とは無関係の学部を卒業していましたので技術面としても素人同然で本当にわからない事だらけ。
残った人間の中で一番そうなるのが自然な立場だったという本当にその一点だけで私が二代目社長となってしまった事や、当時会社の業績がどん底と言っていいほどに思わしくない時期だった事もあり、自分の判断や行動によっては取引先に大きな迷惑をかけたり社員さん達とそのご家族を路頭に迷わせてしまうかもしれない、多額の借金を背負うかもしれない、様々な不安と恐怖と絶望に苛まれ、ヒーラーとして仕事をするどころかそれまでに勉強したスピリチュアル的な技術や知識を自分に生かすという考えすら浮かばないぐらい、ただひたすら目の前にある仕事や問題をこなすしかない日々が父の死と同時に始まりました。
二代目社長になってから初めの1年ほどは不安と恐怖があまりにも強すぎて、自分にかけられる一番高い生命保険に加入してその辺のビルの屋上から身を投げて、その保険金で誰かに後始末を押し付けてしまいたいと毎日思っていましたし、当時の私には家族、当時の恋人、友人達、社員さん達、取引先の皆さん方も、みんなみんな自分を苛む敵か、もしくは重荷のように感じてしまっていました。
少しでも隙を見せたら会社がつぶれてしまうかもしれない、なめられたら終わりと常に肩に力が入っていて気を抜けず休めない、家族や社員さん達に不安を与えてはいけないからと必死で強い自分を演じてなんでもない顔をし続け、何かやらなくてはいけない事や致命的な失敗を見落としているかもしれないと不安で常に仕事について考えている状態。
当時の恋人はモラルハラスメントや束縛癖があり、時には痣や傷などを残さない形での暴力もあった方で、別れを告げたらそれこそ何をされるかわからないという恐怖が勝ってずるずると付き合い続けていたような状態だったので、私にとっては安心できるものではありませんでした。
仕事から帰宅しても安息の場所であるはずの自宅に入る気になれず、気が付いたら30分以上も車の運転席にぼんやり座ったままだった事が何度もあり、原因不明の耳鳴りにも毎日悩まされていました。
父が死んだ事を悲しむ気持ちは当然ありましたが、それよりもこれから先どうやっていけばいいのか、一寸先に途方もない闇が広がっているように思えてその恐怖に震える気持ちの方がはるかに強かったです。人間って強すぎる恐怖を感じると本当に体が勝手に震えるんだと知ったのもこの時でした。親不孝者とそしりを受けても仕方がないくらい自分の今後の事しか考えられませんでしたし、私の人生は終わったものだと思っていました。それぐらい、明るい未来なんてものは一切見えていませんでした。
そんなある日、取引先に向かう車の中で発作的に「もう嫌だ!みんなのんきに笑ってる中でどうして私だけこんな思いをしなくちゃいけないんだ!怖い!誰も助けてくれない!もう死にたい!」と、もうとっくにいい大人だというのに涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら甘ったれた事を大声で叫んでひとりで泣いていた時、車のステレオからたまたま流れて来た曲の「Don’t warry, Do your best」という歌詞がやけにはっきりと頭の中に響くようにして聞こえました。
なんだかわかりませんが、その一言だけで急に憑き物が落ちたようにスッと落ち着き、その途端本当になぜだかわかりませんが「私の周囲の人は敵ではない。自分が敵だと思うから敵に見えてしまっているだけで、それぞれに好みや都合や思い、何を重視するかや向かいたいステージがあって、それが自分含めてそれぞれで違うだけで、決して敵ではないのだ」と自然と思えたのです。
何かからの天啓だったのかもしれません。気が付いたら耳鳴りも収まっていて、それと同時にそれらはスピリチュアル技術の習得や勉強の際にすでに教わっていた事だと、ようやくそこで思い出すことが出来ました。
人間、精神的に追いつめられると自分自身の手元すら見えなくなるとはよく聞く言葉ですが、自分が体験してみるとまさにそうだなと思います。
この出来事から少しずつ、自分がすでに習得していたスピリチュアル技術をまず自分に対して生かす事を再度やり始め、もっと知りたいという気持ちをまた新たにし、そして透視ヒーリング、レイキのティーチャー資格、数々のLOVINGを習得しました。
これらの技術と知識がなかったら、多分私はとっくに重責感に押しつぶされて会社を潰して色んな事から逃げ出していたと思いますし、もし運良く続けられていたとしても毎日険しい顔をして暗い気持ちで誰一人味方がいないと嘆きながら日々を生きていただろうなと思います。
スピリチュアルの世界で学んだ技術や知識が、生きていく上で大切な事や大きなヒントを与えてくれ、生きやすくしてくれたという経験から、私のように重責に心が悲鳴を上げているような人や、自分自身の事が信頼出来なかったり好きになれなかったりして苦しい思いをしている人、良い人でいたいという気持ちが強すぎて他人が望む自分でいようとしてしまったり自分を犠牲にしてしまいがちな人、他者に隙を見せられず強くあらねばと自分を追い詰めがちな人などの助けになりたいという思いから、改めて会社経営者 兼 ヒーラーとして仕事をしていくに至りました。
ヒーラーとしての経験や技術や知識だけでなく、私の会社経営者としてのささやかな経験や思いが、お困りの方やつらい思いをされている方の助けになれたら幸いです。